
「阿蘇復興への道」のお話をうかがって来ました。
9月11日、防災フェスタinしみず2017にてつながりを持たせていただいた「阿蘇復興への道」代表の石田仁星さんのお話をうかがって来ました。

「阿蘇復興への道」の中留さんと石田さん(左)
地震が来るまで、自分たちが被災するなんて思っていなかった。
熊本は地震が来ないと言われた土地。
南阿蘇では14日の地震では大きな被害はなく、益城の事もどこか他人事だった、と石田さん。
16日も余震の一つだと思っていたら揺れが強くなって縦揺れに変わり、激しくなったのだそうです。
最初は物資も届かず、救援も来れず、孤立したと思っていたとのこと。
黒川地区に通じる3本の橋のうち、阿蘇大橋が落ち、1本が危険な状態。
そこで、けがをしていない地元の人と学生で何とかしよう、という事になったそうです。
普段からつながりがあったので、部屋にいる・いない、どこに集まっているなどの情報があったので、安否確認や建物をこじ開ける判断は早かったそうです。

語り部活動の取材を受ける石田さんと「阿蘇復興への道」のメンバー
とにかく何かしなくちゃ、からの、何が起きたか伝えたい。
震災の直後は携帯の通話はできなかったが、SNSなどで連絡はすぐにつき、
大家さんや地元の人の安否情報は学生がツイッターなどを使って拡散したとの事。
当日のうちに、物資に限りもあるので、車と体が無事で実家などに戻れる距離の学生は大分方面へ抜けて阿蘇を出た。
大分出身の石田さんは、OBの方の呼びかけに応じて、阿蘇に戻ったのが5月2日。
そこからは、無事だった家に泊まりながら、全壊になってしまった大家さんの家を片づけたり、
集積場の仕分けのアルバイトなどをし、6月の豪雨で避難指示が出て大分に戻ったとの事。
先輩たちについく中で、避難させてもらった自分たちがもっと動かなくては、
今も阿蘇にいる大家さんたちの力になれば、と考えるようになったとのこと。

イベントに出展した「阿蘇復興への道」
自分たちが南阿蘇の人たちと、語り部をした相手をつなぎたい。
現在の活動の中心は語り部活動。自分たちの住んでいたところや、被害のあったところなどを回って、
参加した方に体験と合わせてお話をされるそうです。実際に見てもらうと感じ方が違うので、この活動は続けていきたいとの事です。
福岡で開催された「AIR JAM 2016」にも出展させてもらい、実際の写真などをパネル展示し、1対1でお話をして署名をお願いしたり、
東北のライブハウスを回って語り部をして署名を集める活動などもされたとのことです。
いつも石田さんが語り部の時に言っているのは、いざという時には遠くの身内より、近くの人たちだと。
実際に、東京など関東の出身の子は、朝まで親と連絡がつかなかった(親は地震があったと知らなかった)。
誰がここに人がいると言ってくれるか、言えるかだと伝えているとの事でした。

語り部活動をする石田さん